歌舞伎役者 松嶋屋 片岡仁左衛門
姑をいつも思い出していますが、
実家の両親と暮らした月日より
姑と一緒だった日は三倍以上の年月でしたから、身にしみています。
謡曲に小鼓を得意とし、
歌舞伎が好きでした。
舅は住友銀行を退いてから、
印刷会社の社長だったそうですが
終戦後しばらくして亡くなりました。
しかし孫の、私たちの長男である赤ん坊を見てました。
姑は、その長男の子供、長女の子供 つまりひ孫を見ましたが、
私の夫は 姑より先に孫も見ずに亡くなり、
それから私の大苦労がはじまりました。
それなのに経済のことも考えず、
宝塚へ行くのだけを楽しみに今に至っています。
現在 片岡仁左衛門が歌舞伎界で活躍していますが、
この人の曽祖父にあたる11代目だったかの、仁左衛門が好きだったらしく
松葉ちらしの模様の浴衣生地の反物のままであったのを、
惜しげもなく、おむつにしました。
松葉ちらしの模様は松嶋屋片岡家の好みだった様です。
今の仁左衛門の楽屋の暖簾をテレビで見る時、
現在でも 二引きに丸の松嶋やの紋の下に松葉ちらしの模様がありました。
実家の両親と暮らした月日より
姑と一緒だった日は三倍以上の年月でしたから、身にしみています。
謡曲に小鼓を得意とし、
歌舞伎が好きでした。
舅は住友銀行を退いてから、
印刷会社の社長だったそうですが
終戦後しばらくして亡くなりました。
しかし孫の、私たちの長男である赤ん坊を見てました。
姑は、その長男の子供、長女の子供 つまりひ孫を見ましたが、
私の夫は 姑より先に孫も見ずに亡くなり、
それから私の大苦労がはじまりました。
それなのに経済のことも考えず、
宝塚へ行くのだけを楽しみに今に至っています。
現在 片岡仁左衛門が歌舞伎界で活躍していますが、
この人の曽祖父にあたる11代目だったかの、仁左衛門が好きだったらしく
松葉ちらしの模様の浴衣生地の反物のままであったのを、
惜しげもなく、おむつにしました。
松葉ちらしの模様は松嶋屋片岡家の好みだった様です。
今の仁左衛門の楽屋の暖簾をテレビで見る時、
現在でも 二引きに丸の松嶋やの紋の下に松葉ちらしの模様がありました。
by o-kikuyo
| 2015-12-07 12:13